Diary 2010. 3
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3月23日 (火)  その日その日で変わる足下

 土曜日の湿り雪を一緒に滑った渋谷さんは帰りがけに「今シーズンはこれで最後になると思います」と。ああ、冬が去ってゆく・・・。レジ袋にいっぱいのミカンのおみやげをいただくこと8回。楽しいお仲間の皆さんにも大変お世話様になりました。
 日曜日は氷の斜面にザラメ雪で今シーズン最高のむずかしさでしたがラストまで滑って疲れた。ところが、冷え込み2日目の月曜日は整備も完璧、硬めのサラサラ雪で真冬よりも快適なゲレンデでした。中周り専門だった古田さんに(ポジションが良いので)小回りをお勧めしたら一発で習得してくれてびっくりしました。
 画像は22日。空気が澄んでアルプス(穂高、槍方面)が近く見えます。車山(左)もコース外は茶色くなったね。

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3月19日 (金)  ぶーこは5才になりました

 昨日の夕方から降った雪が止んで、朝日がひときわ明るい。いつもより早めに「ブヒーブヒー(おなかすいたー)」とうるさいので朝ごはん(ミニブタフード)を用意して、「おはよー」とドアを開けると「ブヒッ(おはよ)」と短くひと声、「たかたかたかたか」と雪の中をまっしぐらです。そのまま夕方まで庭の角の陽当たりの良い別荘で過ごします。スキーに行く前にリンゴ(キズつき)、帰っておやつ(パンとかいろいろ)あげて。「ベトナム原産種なので寒さに弱い」と聞いて心配でしたが、高原の酷寒に耐えて雪の中、5度目の冬を越しました。
 夏はともかく今は「日本で最高地点に住むブタじゃないかな」と思います。

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3月17日 (水)  『漢民線』(正式な名称じゃないけど)

 月曜日から来ているキキさんは国際線の客室乗務員さんです。連れてきてくれた金子さん(彼氏じゃなくて残念)と3人で飲みながら台湾と日本の文化や歴史についてのお話が面白くて、夜が更けるのが早い。ワインも日本酒もすべて空けて。
 ところで『あなたの肘の内側から手首方向5センチくらいに、鉛筆で書いたような線がありますか?』私以外はみんな(泰子さんにも)付いていました。遠いご先祖のマークなのかもしれません。
 東西に連なる稜線から南斜面は春、足下からの北斜面は真冬のゲレンデ。ここが季節の境界です。

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3月14日 (日)  プライズテスト

 降雪後の快晴で良好なコンディションの日曜日。お客さん達(2グループで大勢で、うれしい)と「思いっきり滑るぞー」とリフトを降りたらクラウンプライズ、テクニカルプライズ検定でフリー滑降が始まるところでした。(趣味の範囲では)最高峰を目指すレベルなので道具もいで立ちも腕前も高級品ぞろい、緊張感とともに華やかな気分も漂います。そう言えばここは10年ほど前まで行われていた草レースのスタート地点です。雰囲気がそっくり・・・。ゼッケンをつけた知り合いの皆さんにエールを送った頃が思い出されました。
 下は2級以上がゴロゴロと、モンチッチの皆さんの『自然な』1枚です。

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3月11日 (木)  初心者講習3日目

 今週はスキー学校に行っています。昨日も一昨日も降雪と濃霧の中でしたが、今日はきれいに晴れました。京都の女子中学生さんたちは「滑りたい」「滑りたい」と言いますが、自然鑑賞も大事なのでスキー場の最高点に山登り(といっても数分)です。先着の男子が上から雪玉を投げてきたから戦闘開始。ひと時、スキーとはなれて頂上は歓声に包まれました。
 スキーの技術についてはいろいろありますが『とりあえず前に乗って、スピードと斜度に強くなる』が私のレッスンの目標。今日のバッジテストでは9人全員が(点数に)余裕の4級合格で、またまたうれしく歓声を聞きました。明日も青空、午前中のウイニングランで講習終了です。

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3月8日 (月)  帰ってきた冬

 先週は暖かかったですね。庭の雪もすっかり消えて金曜日(5日)は建具(茶室のにじり口の戸)を作ったりしていました。「もしかして、このまま春・・・?」と思ったら昨日は朝から雪になりました。スキー場(しらかば2in1)もコース外は地面が出て「春の小川」になっている所もありましたがゲレンデ内は大丈夫。午前中は昔のスキーヤーさんと。午後の中村さんとの小回り練習は楽しかった。
 雪は夜も降り続いて今朝の画像です。気温が下がって風もなく、このままの状態で夜になりました。

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3月2日 (火)  明日、炎上

 新府(しんぷ)城址に行きました。韮崎市の西、晴れたら甲斐駒を大迫力で眺める七里岩ラインの、鳳凰三山が間近に見えるあたりです。落ち目の武田勝頼が造った壮大な城ですが完成後2ヶ月ほどで織田信長軍に攻められ、自ら城を焼いて逃避行に入りました。数日後に滅びますが、勝者の信長も3ヵ月後には本能寺です。
 説明板を読んだら『天正10年年3月3日卯の刻(と言うから朝6時)、火を懸けて』。混乱を極めた428年前の今日明日の状況に思いをめぐらせました。私は勝頼ファンなのです。
 城跡の端から見下ろすと西から東に桃園が広がって、来月は一面の桃の花ざかりです。

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3月1日 (月)  もと貴婦人のサラちゃんも

 短く「ニャ」(お天気が良さそうだから外に出てみたいわ)と言うのでドアを開けてやりました。二日続いた夜の雨で玄関の周りも雪はすっかり消えています。以前なら獲物を追って周りの林を駆け巡り、遠くから見ると黒い豹のようだったのに、全身の艶も筋肉も消えて今はひたすら日なたぼっこです。そう言えばこの冬はお客様の接待にもほとんど出てきていません。人間ならば100歳近く、昼も寝ている時間が長くなりました。この上は少しでも長生きして欲しいと祈るのみです。

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