薪割り機(正面手前)は長年の酷使のため、この秋動かなくなってしまいました。調べたら、どうやらコンデンサーが寿命で壊れたらしいので、メーカーから取り寄せて交換しました。ついでに油圧用のオイルも交換したらパワーがよみがえって絶好調です。今日はこの春に向かいの林から伐りだしてきたナラを薪にしました。機械は電動なのでコンセントに近いところで割って、荷台がいっぱいになったら離れた薪小屋へ移動して積み上げて。流れがスマートで気分の良い作業です。合羽の上下に長靴をはいてニット帽をかぶって軽トラの荷台に向かっていると「あれ、こんなスタイル、昔よく見ていたなあ・・・」、季節的に焼き芋屋さん?
今朝は−3℃、午後4時で0℃でしたが天気も良くて5時近くまで外仕事ができたのもうれしい(曇っていると4時で暗くなってしまいますから)。
ニュースのたびに「はてな」と思う。『テロと空爆』、『空爆と空襲』、『71年前、70年前は日本も空爆されていた』、原爆も『空爆』だよね・・・
先週パソコンが壊れてしまいました。喫茶室のお客さん用(Windows7)を自分の部屋に持ち込んで、起ち上げようとしたら『Windows10のダウンロード』のダイアログが出現、「無料」につられてクリックしました。2時間以上もかかってダウンロードは済んだけれど、それからが大変。まず『Word(2010)』が使えなくなっちゃった。パソコンの神様(浦和のKAZさん)に電話して『2013用のソフト』をメールに添付して送ってもらってダウンロードしたら字が書けるようになりました。次にデジカメ(今年買った富士フィルムのXQ1)をつないだら画像が取り込めない。街まで行ってメモリーカードを買ってきて近所でカードリーダーを借りてきてバージョンアップのダウンロード。ようやくこの『近況』も復活です。
以前(Vistaだったかな?)とは画面も勝手もかなり変わって、毎日「困り、戸惑い、調べて、解決」の連続ですが踏み込んでみるとけっこう面白さも感じます。「まさか爆発はしないよな」調子に乗って壊れたパソコンをバラしてみる。中は意外に単純で「ほうほう、これがCPUだな、どうやらこれがハードデイスク・・・」。
『LD』ってご存知ですか?「学習障害」と訳されていますが『聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち、特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すもの』だそうです。私は数年間おおぜいのLDの子と接してきましたが一緒に山を歩いたり食事をしたりする中では健常児と変わりない印象でした。医学が進むと誰でも何かの障害を持っていることになるかもしれません。
今回はその『LD』についての研究発表会(学会)です。主宰者の山内さんはウォールデンの元アルバイト。出世したねー。昼過ぎにご到着して早速始まったのがテーブルの配置変えでした。関東、中部、関西からご参加の学校の先生、お医者さん、行政の担当者の皆さんの発表や討議のあとで「夕食もこの並びでいきましょう」。結局お帰り前の昼食まで細長い輪になって和気あいあいのひとかたまりで。笑い声もいっぱいでした。食事の支度の際には毎回たのしくお手伝いいただき夜は遅くまで一緒に飲んで話して、皆さんありがとうございました。落ち葉の季節なのに、私は明るい花畑の中で過ごしたような気がしています。
1600年の関ヶ原の戦いで豊臣方(西軍)だった父(昌幸)と幸村は死罪になるところを兄(信之。徳川方で上田城主)の助けで高野山(和歌山県)に島流し。のちに九度山に移ります。昌幸が病没した後は家来は3人きりのわびしさです。慶長18年(1613年)幸村47才、上田の親せきからお歳暮に鮭を贈ってもらったお礼の手紙には『当方はすべてにおいて不自由です。この冬はひとしお寒さが身にしみます。私のていたらくを想像してください。去年から急に年寄りじみて病気になってしまいました。歯も抜けてしまいました。ヒゲまで白髪になりました。』前後には配流暮らしの嘆きやプレゼントへの感謝の気持ちが長々と書かれていて、人柄に親近感を覚えます。普通のおじさんみたいなので驚きました。別の手紙には『焼酎も送って下さい』なんて書いている貧乏人が、翌年には『戦国一のいくさ上手』に変身!
先日来の雨で木々は一斉に葉を落とし、私は近ごろ『籠城』気分です。
小学生の時に『真田幸村』を読んで歴史に目覚めました。戦国時代の真田家は幸村のお祖父さん(幸隆)が武田信玄の子分になって興り、お父さん(昌幸)も武田家滅亡まで仕えて勢力を安定させました。『武田二十四将』の中の3人は幸村のお父さんとその兄弟(叔父さん)です。みなさん喧嘩(武力)も強かったけれど知略謀略も得意で、50年の間に優秀な人が集中したらしい。その中で、はかりごと無しにストレートに生きた幸村はひときわ颯爽としています。大坂の陣で戦死しますがその活躍は敵(徳川方)の記録に『真田は日本一の兵(つわもの)』と記録されています。
来年の大河ドラマは『真田丸』ということなので「混まないうちに・・・」元は昌幸が作った上田城跡公園に初めて行ってきました。資料館の古文書(いっぱいある)の判読(判らない)に手間取って気が付いたら3時半。
その前に立ち寄った信濃国分寺跡では千年の歴史よりも、枯葉の海で「ワーワーキャーキャー」と歓声を挙げつづける保育園児のパワーに未来を感じて笑ってしまいました。枯葉を持って帰って焼芋するんだな・・・
昼食後、向かいの森で倒れている松の伐り出しをしました。40センチに切りそろえているとチェーンソーのオイルが切れたので次は汗かきタイム。引きずったり転がしたりして軽トラに積み込んで運び、降ろして並べて1時半、作業開始からほぼ1時間でした。「ああでもないこうでもない」と悩み考えていても1時間ぐらいすぐに過ぎてしまうことを思えば充実感がこみ上げます。
日曜日の朝、Kさん達との柿の皮むきも1時間弱でした。はじめは「うわー、こんなに・・」と思いますが話しながら手を動かしているとあっけなく終了してしまいます。焼肉小屋に吊るして一日ごとに濃くなる秋の色を味わっています。特に夕方の光と云ったら。
良質の黒曜石が採れたという星糞峠も『近くて気になる』場所でした。調べてみたらブランシュたかやまスキー場の対岸です。スキーをしながら「優しげな山だなあ。登りたいなあ」といつも眺めていた山には『虫倉山』という立派な名前も付いている。なお、『星糞』とはキラキラ光る黒曜石の破片のこと。きれいなクソですね。
今日は文化の日だし、11時に出発しました。この辺りには熊がいる(7年前に会いました)から鈴つけて。星糞峠は落葉の積もった原っぱで私には8000年前の採掘風景はイメージできませんでした。ロマンは麓の『黒曜石ミュージアム』に頼るほかありません。
虫倉山には途中から道がなく道標もなく、背よりも高いススキの原を平泳ぎでかき分け笹原をけ散らして登りつめれば山頂の表示も無く私好み。ほどよい緊張感のある里山歩きでした。手前の見晴らしの良いピークに戻って弁当を食べて4時間近くひとりきりの世界に浸ってきました。
下の画像正面はしらかば2in1スキー場です。